2012年09月05日

質的心理学会 レポート

先日の記事でお伝えした質的心理学会(余白ネットワークが学会に取り上げられるとは思っていなかったので、不思議な感じがします。)のレポートですが、

早速、話題提供者の石幡愛さんから、指定討論者からのコメントに答えて、という形で文章をいただきました!
石幡愛さん、ありがとうございます!


さらに、プレゼンに使ったパワポも公開してよいとのお言葉をいただきましたので、みなさん、ぜひ目を通してみてください。


ダウンロードされます↓

余白ネットワークプレゼン資料.ppt




今後、冠からのレポートもありますので、このブログ記事が更新される予定です。
ブログだと疲れるという方、じっくり読みたい方は、クリエイト人にも掲載予定なので、そちらをぜひ。

(内田聖良)




以下、石幡愛さんのレポート【指定討論者からのコメントに答えて】



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質的心理学会第9回大会報告  
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質的心理学会第9回大会(@東京都市大学)で、『「つくること」としてのつながり』という
シンポジウムに登壇し、「秋葉原ネットワーク」と「余白ネットワーク」について発表してき
ました。指定討論者の松嶋先生から重要なコメントをいただいたので、それにお答えする形
で、ご報告としたいと思います。



コメント@
 「否定的共同体」について。「否定」と言うからには否定する対象を強く意識している。こ
の点は「対抗文化ではない」という墨東大学(同シンポジウムで岡部先生から話題提供があり
ました)との違いなのか。


答え@
 余白ネットワークがつくっているつながり(というと語弊があり、より正確には、すでに存
在しているつながり方を可視化している、と言ったほうがよいと思いますが)を理解する道具
として、モーリス・ブランショのnegative communityという用語を引用しました。この用語に
対しては「否定的共同体」という訳語が定訳ですが、発表でも述べたとおり、これはミスリ
ーディングだと思います。ブランショが述べるところのnegative communityとは、共通性を成
立要件とするコミュニティ観を「ポジ」とした場合、その「ネガ」であるようなコミュニテ
ィ観のことです(写真の「ネガ」を思い浮かべてみてください)。
 したがって、ここで「否定的共同体」という用語で指し示したものは、ある共同体に対抗す
る/を否定する共同体ではなく、つまり対抗文化ではなく、人々が互いに異なるからこそ、共
に在るという状況が成立するということそのものです。
 余白ネットワークの問題意識は、価値観や尺度や選択肢がひとつに集約されること、あるい
は、それしかないと信じ込むことへの危惧や疑問にあります。そして、余白ネットワークの活
動は、人々が互いに異なっているというすでにある事実を、より見えやすくする仕掛けを設定
することであり、また、異なる者が共に在るための様々なエクササイズであると思います。
  「余白」という言葉からして、枠に寄生してなんとかやっていくやり方(セルトーの言う
「戦術」)であって、枠を転覆させようという意図はないのです。「枠は枠としてあるけれ
ど、余白も(しかもいろんな余白が)あってもいいじゃない」と。そんな感じです。



コメントA
 コミュニケーションが成立していると思っていても実はディスコミュニケーション、という
ことが日常的にも起きているのではないか。


答えA
 communityに対して上記のようなスタンスを取るのと同様に、communicationに対しても、
差異やズレに着目するスタンスを取っています。そうすると、ディスコミュニケーション(伝
わらない、勘違いされる、無視される、矛盾する…)は常に起きていて、それもまた、コミ
ュニケーションの一要素なのではないかと思われます。
 バフチンやワーチを引用するのが、わかりやすいかと思います。つまり、他者の言葉に自
己の志向とアクセントを住まわせること(専有。この概念は、先ほどのセルトーの「戦術」と
も近い概念です)。それをお互いにやり続けることがコミュニケーションだというわけです。
ちなみに、先ほどからよく使っている「共在(共に在る)」という用語は、文化人類学者
・木村大治さんの「共在感覚」から取っています。木村さんの研究では、アフリカの原住民の
会話の仕方に関するフィールドワークから、コミュニケーション観そのものを刷新していま
す。「共在感覚」は、上記のようなコミュニケーション観に通じるものがあると思います。



コメントB
こういった活動を継続するためには何が必要か。


答えB
 「継続するために」の前に、「継続すると何が起きるか」を考えてみたいと思います。実
際、2年目を迎えた余白ネットワークでもそうですが、自分たちが何を大切にしているのかを
言語化できるようになるのと並行して、その大切なものが、ある意味優位な価値観として、目
立ってくる気がします。そして、その価値観に沿うようなアクションを起こす人や事例が「面
白い人」「優れた事例」になるわけです。
例えば、発表でご紹介した、誰にも頼まれていないのに個人的な熱意で、ものすごくクオリ
ティの高い全国のメイド喫茶のリストを作った人物、カレーを50人前作った人物、こういった
人たちは、余白ネットワークにおける「エリート」とも言えます。
 たいてい、価値観や尺度や選択肢が固まってきて、そこに人々が(強制的にせよ自発的にせ
よ)動員されることによって、継続性というものは得られるのだと思います。一方で、余白ネ
ットワークの活動を継続するということは、価値観や尺度や選択肢を解体し、再構築し続ける
ことなので、ある意味矛盾を抱えていると思います。
 そこでヒントになるのが、フロアからのコメントにあった「個に帰る」「山が砂粒に戻る」
ことです。ノットワーキング(既存の組織や固定的なネットワークによる協働ではなく、そ
れらの境界を越えた即興的な協働。これを、結び目(ノット)をつくるという行為をメタフ
ァーとして表現した、エンゲストロームの用語)という概念ですら、「結ぶこと」のほうに重
きが置かれて議論されているきらいがある。その中で「ほどくこと」の意味を考えてみるべき
でしょう。




石幡



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posted by 余白ネットワーク at 01:20| Comment(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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